烏天狗の木の葉手帖

その日にあったことや呟きたいけどTwitterの文字数じゃすくねえぜっていうのを書くだけのブログ

どこかにあったバンドの話

組んでたバンドが解散した。

 

終わる時というのは案外あっさりしているもので、こんなもんか、と特に悲しむなどもなかった。

 

少し前から不穏な空気は流れていた。大きなキッカケとしては、こういう話の定番ではあるが、色恋である。

 

男女2人ずつの4人バンドで、そのうちの2人が付き合いだしたら、気まずくなるのも当然である。

 

それに、何より私にも悪い部分があるのだ。

 

普通の友人として、彼氏の方を遊びに誘った。それがきっと彼女の気に障ってしまったのだろう。

 

その程度で、と思ってしまうが、私が彼女から信頼が得られなかったのもあるだろう。

 

あくまで憶測の話で、真の理由は私にはわからないのだが。分かるだけの共感性を、悲しい事に持ち合わせていなかった。

 

こんな事になったが、先にも言った通り悲しくは無いのだ。ただ、もう1人のバンドメンバーに、申し訳ないという気持ちが漠然とある。

 

彼が事を知ったのは、全て終わった後だった。彼が知った時には、関係は既に崩壊しており、バンドを終わらせるという旨を向こうが固めた後だったのだ。

 

残り数ヶ月で卒業ライブ。そこまでで、ライブの出演は1回しかない。卒業ライブを含み、あと2回のライブを耐えるのだろうか、はたまた、解散になるのだろうか。

 

「卒業ライブは出ない」

 

そう言われた時、咄嗟に「でしょうね」と返してしまった。個人的にはむしろ、「出る」と言われたら驚いて聞き返していた自覚がある。

 

最後となってしまったライブでは、SEなどの決めなくてはいけない所を決めて、演奏して、ろくに会話などせずそのまま解散した。バンドも、その場も。

 

話しかけても、きっとお互い良い気持ちにはならないだろうから、なるべく近寄らないようにした。

 

「気まずすぎやろ」と友人に言われるほどではあったが、付き合っている2人がずっと一緒に居るのに、そこの邪魔をする訳にはいかないだろう。

 

私は友人達と話したりしていたが、その日のライブ中、1人にしてしまったバンドメンバーには、こちらもまた申し訳ない気持ちがある。

 

私が彼と話したら、彼が2人と話せなくなると思い、声をかけられなかった。そんなのは関係なく、ずっと2人で、彼は1人だったのだが。

 

今までありがとう、なんて言葉も無く、関係が終わってしまった。これからは同じ部活の人、同じゼミの人、はたまた他人へと成っていくのだろう。

 

この状態に寂しさも悲しさも湧かない時点で、きっともうダメだったのだ。彼らへの感情が微かになってしまっている時点で。

 

お疲れ様でした。楽しかったよ。こんな捻くれた問題児とバンドを組んでくれてありがとう。それぞれ残りの学生生活を楽しみましょう。

 

最後のライブを終えた、どこかにあったそんなバンドの話

なにかの長になること

中学高校と演劇部で部長を続けていた事は、きっとこのブログを読んでくれる人達は知っているだろう。もし知らなかったら過去のやつ読んでみてください。

 

演劇部の部長をやってみて、人に指示を出すのも、人に頼るという事も苦手なくせに仕事が出来ない私には、長というものが向いていないという事がはっきりとわかった。

 

もう二度と長なんかになるものか!そう意気込んで卒業したのが今年の3月。私は今、長になるかならないかで悩んでいる。

 

演劇部で舞台に立っていて「再びどんな形でもいいから舞台に立ちたい」そう思ったものの大学には演劇部は無く、歌にも興味があったということで軽音部に入部した。楽器は何も出来ない。何故入った。

 

コロナで軽音部としての活動も出来ないまま「演劇がしたい」「演技がしたい」という思いが強くなり、今はTRPGでそれを発散し、バイトで家への帰りが終電ぎりぎりの日々を送っている。

 

そんな私の元へ、とある情報が入ってきた。

 

 

「演劇部は無いが演劇同好会の箱はある」

 

「部員が居ないので休部になってるが復部すれば部活動として動かせる」

 

 

はっきり言おう。悩んでいる。

 

演劇ができる機会がすぐそこにある。部員をあと一人捕まえて、顧問を捕まえれば復部はできるそうだ。で、できそう…。

 

しかし、もう組織の長はやりたくない。自分には向いていない。でも演劇はやりたい。とはいえ身の回りに演劇をしたい子は、まあ、高校の時の部員が何人か同じ大学にいるが…

 

その子達も部長に向いているとは言い難い…。大学で出来た友人に演劇に興味がある子は思い浮かばない…。いっその事自分でやってしまえば楽だがそれをすると長にならざるを得なくなる…。

 

つ、つみだ…。

 

というわけで、最近演劇同好会を作るか悩んでるって話でした。

距離感や怒りの沸点

「あんたは私の子やからベッタリするの合わへんで」

 

これは、人とベッタリするのが合わない母からの言葉である。

 

私はこれを聞いて、確かにそうだと思った。

 

人と居るのは好きだ。でも、ずっと一緒に居るのは好きかと聞かれれば、すぐに否と答えるだろう。

 

人との距離感は大事だ。でもそれは「失礼にならない距離感」も大事だが「自身の負担にならない距離感」の方が私は大事だと考える。

 

私は、定期的に一人の時間が欲しい。従兄弟が5日ほど泊まりに来た時があったが、家は狭いので一人の時間が作れず、ストレスが溜まったのは今でも覚えている。数十分位でいい、一人の時間が欲しいのだ。

 

もちろん、人と一緒に居る時間が負担にならない人、一人で居る時間が苦痛な人も居る。一人でいるのが苦痛な人とずっと人と居るのが苦痛な人、一緒に居ればどうなるのか。間違いなく、どちらか片方が苦痛を感じるだろう。

 

他にも苦痛を感じることは人によって変わるだろう。私の場合は「怒りの沸点の違い」である。

 

自己分析だから、もしかしたら違うかもしれないが、私は追い込まれていない限り怒りの沸点は大分高い。よっぽどの事がないとキレない。元々無愛想で声も低めなので不機嫌だと勘違いされる事もあるが、実際は推しの事しか考えてないので安心して欲しい。

 

だから自分では怒らないような事で怒ってる人を見ると「どうしてその程度で怒るんだ?」と思ってしまう。そう考えたりするのがとてつもない苦痛だ。ストレスだ。考えなきゃ済む話だが、どうしても思ってしまう。理解出来ないことは考えてしまう。

 

考えて疲れて、答えなんて見つからないから心のどこかに置きっぱなしにして、それが繰り返して山積みになって、小さな苦痛が大きな苦痛に変わる。それがどうしようもないくらいにしんどいのだ。

 

だから、距離感や沸点が違うなとなって、苦しくなった時に、私は少し離れる。離れて、自分の心が落ち着くまで忙しくして、好きな物で溢れさせて、考える隙を与えずに消化するまで待つ。相手に悪い所は一切ない。私がただ合わせられなかっただけ、その余裕が無いだけなのだ。だから消えるまで待つ。

 

たとえ消えきらなかったとしても、その苦痛が消えたと思ったら、再び近づいてみる。私にとって丁度いい距離感を見つけるまで繰り返して探す。

 

そこまでして一緒に居たい相手かと聞かれれば、分からない。でも、一緒に居たくないと思ったら、距離を取るんではなくそのまま離れてしまえばいい。距離感を測ろうとするという事は、そういうことなんだろう。

 

私は自分の負担にならない距離を見つけるのが苦手だから、すぐベッタリして苦しくなるんだろう。それでも、自分のペースで、一緒に居たい人の取捨選択をして、程よい距離感を取れるようになりたい。

なんか頭でグルグルする事

 最近、よく分からない事を考えちゃって、頭がぐるぐるするから、1回ここに書くね。先に言っておくと、オチは無いよ。あと、少しだけ暗い?話だから読みたくなかったら今のうちに引き返してね。

 

 

 

 

 例えば、相手と喧嘩をしたとする。相手は別の人にその事を相談する。勿論主観だから、相手が悪い風に言うだろう。その主観を聞いた相手は「そういう子なんだ」と思って同じように責め出す。そしたら、相手は多数になってこちらを攻撃する。こちらが悪であるかのように。

 

 別に誰かと喧嘩をしたとか、そんなんじゃないんだけど、もし私が喧嘩をして、そうなってしまったら、例え相手が悪かったとしてもこっちが悪いんだって思っちゃうし、多分本心から仲直りできない。また攻撃されるって思い込んで、ちゃんと話せなくなってそのまま逃げると思う。

 

 言ってしまったものは仕方ないから、あんまり自分の発言を振り返ったりとか、気にしたら気にする所しかないからなるべくしないようにしてるんだけど、ごく稀に、自分の発言を思い出して「ああ、もしかするとこれは、相手を傷つけたかもしれないな」とか思って、別の言葉を探してみる。あの時他にどう発言すべきだったのか。でも、自分の気持ちを言語化するのにそれより最適な言葉は見つからなくて、やっぱり私頭悪いんだなって呆れる。

 

 人と話すのって難しいよな。何が相手を傷つけるかわかんないし。「自分がされて嫌な事はしてはいけない」ってあるけど、自分がされたり言われたりして嫌な事が全然思い浮かばないから尚更。そんなに仲良く無い人には失礼な事言わないんだけどね。そう考えると人と仲良くならない方が良いのかな。それはあまりにも寂しいから、わがままだけど嫌だな。

 

 やっぱり自分の気持ち文字にするの難しいな。さっきからずっと書いては消してを繰り返してる。自分の気持ちを書いて、人を傷つけたくない。心配されたくないけど、わざわざこれに書くってことは心配されたいのかな?自分の気持ちもあんまりわかんないな笑

 

 

 なんか書いたらちょっとスッキリした。あくまで自分の幼稚な弱い部分書いちゃったから、不快にさせたかもね。これが大学生の考えだもんな。ほんとに子供だこの子。早く大人になりたいです!

演劇部

高校最後の舞台のDVDを掃除中に見つけたので見てみた。6年間やってきて、楽しかったなって思う。

 

中高一貫校で中三の時に部長になって、部員が数人になって、廃部になるだろうなって勝手に思ってて、夏休みの活動とかも私一人しか来てなくて、1人で筋トレして寝て帰ったのが懐かしい。

 

高一になって、外部から来た生徒と仲良くなって、部員が徐々に増えていった。高二になれば後輩もできた。個性豊かで、キャラ被りのない中々いいメンツだったと思う。私だけでは出来ないことが沢山できていった。

 

でも、人数が増えれば増えるほど、まとめるのが大変になった。私には、それが出来なかった。家の事情も相まって部員を見れるほどの余裕が無かった。だから、知らないところで部員が揉めて、来なくなる子も増えていった。

 

正直、辞めようと思ってた。私が居なくても部活は成り立つし、むしろ居ない方がスムーズに進むと思ってた。退部届けももらおうと思ってた。

 

それでも辞めれなかったのは、舞台に立つのが、演じるのが楽しかったから。だから部員の為じゃなくて自分の為に部活動に行ってた。よく良く考えれば部長として最低ではある。

 

揉め事が少なかったけど1番揉めたのは高三の文化祭だった。皆、劇を良い物にしようと必死で、余裕が無くなって、爆発した。

 

小さい頃から揉め事は苦手な私は耐えられなくて、でも部長だから逃げる訳にはいかなくて。めちゃくちゃ逃げたかった。色んな人に行きたくないって愚痴ってた。

 

話し合いの場を設けて、みんなに本音を言ってもらって、舞台をやって、過去最高の出来ではあったと思う。

 

でもやっぱり私のやり方は間違ってたなって思う。揉め事が嫌いだから皆に甘くて、その甘さが爆発を招いた。

 

組織を纏めるにはあまりにも向いていない。

 

やっぱり途中で部長を辞めるべきだったのか、散々考えた。考えすぎて昼もぐっすり眠れた。快眠。

 

昔の事を考えても仕方ないのはわかってるけど、それでもやっぱりなあって考えちゃう。人間だなあ。

 

まあまあ、それも含めていい思い出と思える位の大人に私はなりたいなって思う。

苦手

私の学校には、華道の授業があった。

 

華道の師範代の先生が基本の型を1から教えてくれる。

 

教えて貰った型の通りに生けて、数本の花を自由に生ける。

 

私は初心者にしては、程々に上手いこと生けられてたと思う。

 

成績も、5までは行かないけど4は取ってた。

 

ただ、たまにある「自由に生ける」授業は、びっくりするほど苦手だった。

 

自分のセンスに自信が無かったのもある。

 

でも1番は何をしていいか分からないし、何が良しかも分からない。

 

だから、前回の授業でやった事を復習した。

 

先生が見に来る時、決まって言われたのは

 

「もっと自由に生けていいのよ」

 

だった。

 

私も自由に生けたかった。

 

でも、花を見ても、どう考えてもイメージが浮かばない。

 

隣で自由に思いのまま生けてる友達を見て、凄いな、と思う事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

放送部では、アナウンスが苦手だった。

 

放送の大会では朗読とアナウンスがあり、私は基本朗読をしていた。

 

アナウンスを読む事自体は、多分そこまで苦手じゃなかった。

 

放送部の大会では朗読もアナウンスも大阪大会の決勝まで行った。

 

苦手だったのは、アナウンス原稿作成だ。

 

朗読は決められた本の中から自分の好きな本を選び、良いと思った部分を抜粋して読む。

 

対してアナウンスは題材選びから読む文まで自分で作る必要があった。

 

決められていたのは「校内放送で読む」というざっくりとした大部分だけ。

 

出来なかった。

 

何を選べばいいのか、何が校内放送に向いているのか分からなかった。

 

結局、題材を先生に貰って書いた。

 

だから、しっかり読みたい文を書いて全国決勝に行った友人を、これまた凄いなと思う事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

物語を考えるのは好きだ。

 

それを文章にするのも結構好きだ。

 

でも、何も題材が無い状態で、物語を考えるのは、とても苦手。

 

何かテーマや設定になる物が無いと書けない。

 

1度書いてみようとしたが、盛りなしで5行で力尽きた。

 

多分、キャラ設定や世界観を説明されたらそこから物語は作れる。

 

キャラや世界観を作れと言われたら、出来ない。

 

 

 

 

 

私は、何をしたらいいのか分からない状態が苦手だ。

 

正直、休み時間は何をしたらいいのか分からない。

 

だから、友人の元に行くのを、勝手に義務化してる。

 

これに関しては申し訳ないとは思ってる。

 

授業中はノートを取るというやるべき事が目に見えるから楽。

 

バイトでも、なにかする事がある時はそれをしてればいいが、何もすることが無くて待機の時間は、どうすればいいのか分からなかった。

 

意味もなくホールをウロウロした。

 

 

 

 

 

人に指示を出すのが苦手。

 

まず何をやらせればいいのか分からない。

 

しなければならないことは分かる。

 

それが自分でできる事だと思うと人に指示を出す必要性が感じられなくなる。

 

でも、人に仕事は振らないといけない。

 

何をどれくらい頼めばいい?

 

頼み過ぎては相手が潰れてしまう。

 

でも、頼まなかったら自分が潰れる。

 

いい塩梅を見つけるのが、とてつもなく苦手。

 

結局、頼めずに潰れて、相手に仕事が全て行ってしまうのがいつもだが。

 

 

 

 

 

揉め事が苦手。

 

人と人とが揉めてる空気が苦手。

 

苦手を通り越して嫌い。

 

同じ空気にいるだけで、怖くて泣きそうになる。

 

仲裁、中間に居なければいけない時は、ただの地獄だと思う。

 

多分思考が小学生だから、お互いごめんなさい、で終わりたい。

 

最後が笑顔ならまあいいかって思う。

 

最後が笑顔になれない時は、ただ無駄な時間を消耗してしまったなって。

 

あと、私が人と揉める事も苦手。

 

人と揉めるのは疲れるし、時間の無駄だと思ってしまうし。

 

何より、建前だけでも人と仲良くできるから必要性を感じない。

 

だから、自分の本心をぶつけてまで揉められる人は苦手だけど、憧れ。

 

苦手だけどね。めちゃくちゃ

 

 

 

 

そういえば

 

揉め事が苦手だから避けてきた、って先生に言った時

 

「それって、全部自分の思い通りって事でしょ?そんなの人生ずっと続く?」

 

って言われた。

 

私は多分、他の人より遥かに少ない自信があります。

 

覚えてないだけかもしれないけど。

 

多分覚えてないだけか。

 

 

 

 

そんなのじゃなくて。

 

苦手の話。

 

1回自分の苦手なものをまとめたかっただけ。

 

 

結論から言うと、無題と人の上に立つのが苦手っていう話。

 

あと、ブログのまともな締め方を考えるのも苦手

母が入院してた話

不穏なタイトルですがこのままです。母が入院してました。いや、書いてる時はまだ入院してるんですけどこれが投稿されてるってことは退院してます。

 

入院してたのは11月の中旬から。朝から体調が悪く休んでたんですが悪化し救急車で運ばれました。症状は脳梗塞。運ばれたのは2回目でした。

 

兄が付き添いをしてくれたので私は家で待ってました。私は凄く怖くて、これからどうなるんだろうとか、お母さんの事考えたら大学とか今行ってる高校とかどうしようとかひたすら暗い事ばっかり考えてしまって…とにかく怖くなって純に電話をしたり、学校を1日休んで先生に連絡する時安心して泣いたり一時期めちゃくちゃ不安定でした。

 

いや、そんな事はどうでも良くて、良くは無いんだけど。

 

今(書いてるのが)新年なんですけど今はもうリハビリ病棟でリハビリしてメール来たと思ったら「あんこ食べたい」って送ってくる位には元気ですが最初の方は呂律も回らず何言ってるか分からない、体も動かせないと酷い状態でした。何かを伝えようとする度に少し泣きそうになりながらもやらなければいけない事を伝えて。

 

私の中で母はとても強く逞しい存在でした。だから、弱ってる母を見るのが何よりも辛くて苦しくて、でも、1番辛いであろう母にそんな姿を見せたくなかったので、なるべく普段通りに接しました。バイト先のまかないの写真を見せたり生徒会になった事の報告、普通に出かけた事も話しました。というか母の許可が要らなくなったので普段以上に出かけました。(兄も仕事で居ないから夜ご飯とかね)

 

改めて母の凄さを思い知りました。ご飯、作ろうと思っても作れなかったりメニューが偏ったり…洗濯などどうしても面倒くさくなって貯めてしまったり色々しました。今も溜まってて困ってます。こんなに沢山のことをしながら私達の事を女手一つで育ててくれていたんだと、これだけでも大変なのに店の買い出しに行って店やって近所付き合いで飲みに行って。思い返してみれば趣味ややりたい事の否定もされた事が無く私のわがままにも付き合ってくれて、文化祭とかも来てくれて、本当に私は恵まれた母の元に産まれたんだなと実感しています。

 

じゃあこっから先は母が退院した後の私に書いてもらおうと思います。

 

という訳で焼き鳥から帰ってきた私です。母は隣のベッドで寝ています。なんかわからないですけど、隣に母さんが居ると思うと少し安心します。今後は母さんのサポートをしながらの生活ですが今日の様子を見てたらほとんど私のやる事は無さそうです。

 

母さんが帰って来てよかった…私も生きてる…どこかで野垂れ死にすると思ってました。生きてる。明日からまた家族3人での生活だ。前までは当たり前だったこの事実が今はとても幸せに感じます。

 

という近況報告でした。明るい話題とも言えないので気分を害してしまったらごめんなさい。ここまでお付き合い頂きありがとうございました。